1966年に発売されたホンダS800は、当時としては信じられないような高性能を誇るスポーツカーでした。
わずか791ccの小さなエンジンながら、リッターあたり100psに迫る70psを発揮し、最高速度は160km/hにまで達しました。
ゼロヨンと呼ばれる、スタートから400mに達するまでのタイムも16.9秒と、当時のクルマとしては圧倒的な加速性能を誇りました。
当時、バイクレースやF1などで大活躍をしていたホンダならではの、こだわりのスポーツカーといえます。
ここでは、そんなホンダS800の魅力についてみていきたいと思います。
モーターショーで発表されたS360・S500の衝撃
1962年の第9回全日本自動車ショー(東京モーターショー)において、ホンダはそれまでの国産車の常識をくつがえすようなクルマを発表しました。
それが、ホンダS360とS500という、小型2シータースポーツカーのプロトタイプモデルです。
2輪メーカーだったホンダが、初めて発表した4輪車が、このS360とS500ということになります。
2シーターでオープンカーという形式もざん新なものでしたが、なによりも衝撃的だったのはそのエンジンです。
軽合金製のシリンダーヘッドを使った直列4気筒DOHCエンジンで、各シリンダーに1つずつの合計4つのキャブレターを装着していました。
当時のクルマのエンジンはOHVやOHCが主流で、吸気と排気にそれぞれ独立したカムシャフトを持つDOHCエンジンというのは、レーシングカーのエンジンというのが一般的な認識でした。
燃料を供給する装置であるキャブレターも、市販車の場合は4つのシリンダーに対して1つのキャブレターが掛け持ちをするのが普通でしたが、それをレーシングマシンのようにシリンダーごとに4連装してしまったわけです。
そんなマニアックともいえるエンジンにより、S360は356ccの排気量ながら33psというパワーを9000rpmという高回転でたたき出していました。
356ccという排気量は、当時の軽自動車の規格でしたが、性能的には他の軽自動車とはかけ離れたものでした。
当時人気のあった軽自動車であるスバル360の最高出力が16ps/4500rpmでしたから、S360はその2倍以上のパワーをただき出していたことになります。
S500の最高出力も、492ccながら40ps/7000rpm(市販モデルは531ccで44ps/8500rpm)と非常に高いものでした。
他のメーカーの猛反対により市販されなかったS360
ホンダが初の4輪車として発表したS360とS500の圧倒的な性能に、他のメーカーは危機感をおぼえたようです。
こんなクルマを売られたら、他の軽自動車が売れなくなってしまうとの思いから、他のメーカーは市販化に猛反対することになります。
その結果、ホンダはS360の市販を断念して、1963年10月にS500だけが市販されることになります。
しかし、ホンダのS360のエンジン開発が無駄になることはありませんでした。
S360のエンジンのディチューン版を、なんと軽トラックに積んで販売してしまうのです。
それが、1963年8月に発売された、ホンダT360です。
つまり、ホンダの記念すべき4輪参入1号車は、DOHCの高性能エンジンを搭載した、軽トラックだったのです。
参考記事:草創期のホンダはすごかった!~DOHCエンジンの軽トラT360・チェーン駆動のS500
ただ、S360用のエンジンが33PSだったのに対して、T360用は30psにパワーを落として、低速域で運転しやすいようなセッティングにされていました。
それでも、30psのパワーはダテではなく、当時の軽自動車の最高速度はせいぜい80km/hであったにもかかわらず、ホンダT360は軽トラックにもかかわらず最高速度は100km/hに達したといわれています。
まさに、ホンダらしいスポーツ軽トラックといえそうです。
S500からS600を経て1964年についにS800へと進化
1963年10月に発売されたホンダS500は、翌1964年1月には、排気量を100ccアップしてS600に進化しました。
S600は、最高出力57ps/8500rpmで、メーカーの公称最高速度は145km/h、ゼロヨンのタイムは18秒7となっていました。
この数字は、当時の1500ccクラスのクルマと同等といえるレベルで、いかにホンダS600のパフォーマンスが優れていたかが分かると思います。
S600は、S800にバトンタッチするまでの約2年間の間に、1万3084台生産されています。
その後、1965年の第12回東京モーターショーにて、ついにS800が登場し、翌1966年1月に市販されることになります。
ホンダS800のエンジンの基本設計はS500のものですが、そのエンジンの排気量を791ccまでアップさせ、最高出力は70ps/8000rpmまで引き上げられました。
メーカー公称の最高速度は160km/hに達し、ゼロヨンの加速データも16.9秒と俊足をほこりました。
当時、ライバル視されていたトヨタスポーツ800の性能が、最高速度155km/h、ゼロヨン18.4秒でしたから、ホンダS800の動力性能のすごさがお分かりになるかと思います。
参考記事:トヨタスポーツ800~ヨタハチの愛称でファンを魅了したライトウェイトスポーツ
ちなみに、1966年に発売された代表的なファミリーカーであるカローラは、排気量が1100ccであるにもかかわらず、メーカー発表の最高速度は140km/hとなっていました。
このホンダS800には、S500やS600にない外観上の大きな特徴がありました。
ボンネットの1部がポッコリと盛り上がっており、一目でS800であることが分かります。
このボンネットのふくらみは「パワーバルジ」と呼ばれるもので、エンジンルーム内の大型のキャブレターなどがボンネットと干渉するのを避けるために設けられるものです。
しかし、S800のパワーバルジは、ボンネット内のスペース確保というよりも、ファッション的な意味合いで設けられたようです。
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ホンダS800は現在の軽自動車よりもコンパクトでした
当時のクルマは、どの車もサイズ的にコンパクトでしたが、S800はひときわ小さな車でした。
全長が3,335mm、全幅が1,400mm、全高が1,200mmと、現在の軽自動車よりも小さなサイズということになります。
ちなみに、現在のホンダからS660という軽のスポーツカーが発売されていますが、サイズは全高が3,395mm、全幅が1,475mm、1,180mmです。
車両重量もS800が720kgなのに対して、S660は830kgと100kg以上重くなっています。
ホンダS800が当時のクルマとしては抜群の高性能を発揮した背景には、エンジンのパワーもさることながら、軽量コンパクトなボディの存在があったわけです。
参考:ホンダS800主要諸元
発売後もどんどん進化をとげていったホンダS800
ホンダS800は、1966年1月の発売開始以降も、さまざまな変更が加えられてどんどん進化をとげていきました。
最初の大幅な変更は、発売3ヶ月後のドライブ方式の変更です。
当初は、S500からの流れで四輪車としては非常にめずらしいチェーンドライブ方式が採用されていましたが、一般的なリジットアクスル方式に変更することになりました。
1968年5月には、名称もS800Mと変更になり、さらなる進化をすることになります。
特にブレーキ関係で、大きな変更がありました。
当時の国産車では非常にめずらしかったディスクブレーキが、S800Mの前輪に採用されることになります。
また、ブレーキの安全性を高める装置である、タンデムマスターシリンダーなども採用されています。
モータースポーツで大活躍をしたホンダのSシリーズ
高性能エンジンを搭載したホンダのSシリーズは、当時のモータースポーツで大活躍をしました。
1964年の第2回日本グランプリでは、排気量1000cc以下のクルマが出場するGT-Ⅱクラスにおいて、決勝出場者21台中、S500とS600合わせて11台が出走しました。
そして、1位から4位までをSシリーズが独占してしまいました。
また、1964年9月には、S600がドイツのニュルブルクリンク500kmに参戦しています。
1周22.8kmという難コースであるにもかかわらず、ホンダS600は見事に500km完走をして、1000cc以下のGTクラスで優勝をしています。
総合でも13位に入るという、まさに快挙を成し遂げています。
平均時速は106.3km/hで、1300ccクラスのライバルを圧倒する速さでした。
文・山沢 達也
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