いまから50年以上も前の1965年3月に、2シーターの本格的なスポーツモデルがトヨタから発売されました。
トヨタスポーツ800と呼ばれるモデルで、いまだに旧車マニアたちに根強い人気があります。
「トヨタスポーツ800」を短くして「ヨタハチ」という愛称で呼ばれています。
排気量はわずか790ccしかなく、現在の軽自動車の排気量と2割ほどしか差がありません。
しかし、わずか580kgという、現在の軽自動車よりもはるかに軽いボディによって、俊敏な走りを実現していました。
ここでは、トヨタスポーツ800の魅力について紹介してみたいとおもいます。
トヨタスポーツ800は「パブリカ スポーツ」として登場しました
1962年に開催された第9回全日本自動車ショーに展示されたあるクルマに、多くの人は目が釘付けになりました。
そのクルマは「パブリカ スポーツ」と名付けられていました。
パプリカというのは、その当時トヨタから発売されていた大衆車です。
その大衆車であるパブリカのエンジンやサスペンションなどを流用して、市販予定のない試作車として全日本自動車ショーに登場することになったわけです。
しかし、自動車ショーの会期中から「あのクルマはいつ発売されるのか?」といった問い合わせが殺到し、その注目度は非常に高いものでした。
その反響の高さに答える形で、「パブリカ スポーツ」は2年後の第11回東京モーターショー(第10回からショーの名称が変更になっています)で、市販を前提としたプロトタイプとして登場することになります。
このときの名称はまだ「パブリカ スポーツ」のままでしたが、1年後の市販の際には「トヨタスポーツ800」という名称に改められることになります。
たった45馬力のエンジンで最高速度155km/hを実現
トヨタスポーツ800は、「スポーツ」という名称を与えられてはいますが、決してパワフルな車ではありませんでした。
おおもとがパブリカという大衆車向けのエンジンですし、排気量もわずか790ccしかありませんからパワーには期待できません。
最高出力はわずかに45psでした。
当時ライバルであったホンダS800が、高回転型のDOHCエンジンによって最高出力70psを発生させていましたから、ライバルとくらべてもあきらかに非力であったといえます。
しかし、トヨタスポーツ800は、わずか580kgという非常に軽いボディを生かして、非力ながらもメーカー発表の最高速度は155kmとなっていました。
ライバルのホンダS800の公称最高速度が160kmでしたから、それとくらべても遜色のないパフォーマンスを発揮していたことになります。
ちなみに、ホンダS800の車両重量は755kgですから、トヨタスポーツ800はそれよりも175kgも軽かったわけです。
参考記事:ホンダS800の魅力~驚きの高性能を誇った2シーターオープンカー
トヨタスポーツ800のエンジンは水平対向の2気筒
現在のクルマのエンジンは、直列3気筒、直列4気筒、V型6気筒などが主流になっています。
しかし、トヨタスポーツ800のエンジンは、水平対向OHVの2気筒という現代では考えられないような形式のエンジンでした。
もちろん、水平対向エンジンそのものは、現在でもスバルのクルマに採用されていますのでそれほどめずらしいものではありませんが、それが2気筒であったという点が驚きです。
参考記事:スバルはなぜ水平対向エンジンにこだわり続けるのだろうか?
エンジンというのは、同じ排気量であればシリンダーの数が多いほど高回転まで回りやすくなります。
ライバルであるホンダS800は4気筒のDOHCを積んで、70psというハイパワーを8000rpmという高回転で発生させていました。
それに対して、2気筒であるトヨタスポーツのエンジンは、最高出力である45psを発生させるときの回転数は、わずか5400rpmです。
2気筒というだけではなく、OHVと呼ばれるタイプのエンジンであったことも、高回転まで回りにくくしている要因となっていました。
ホンダS800が、高回転型のDOHCエンジンを採用しているのとは対照的です。
こういったスペックを見る限りにおいては、とてもスポーツタイプのクルマに搭載するエンジンには思えないわけです。
しかし、2気筒の軽量なエンジンを搭載することで、トヨタスポーツ800は車両重量を580kgという超軽量におさえることができたわけです。
ちなみに、現在ホンダから発売されているS660という軽自動車の車両重量が830kgですから、トヨタスポーツ800はそれよりも3割近く軽量だったことになります。
また、このトヨタスポーツ800のエンジンは、空冷式でした。
いまやクルマのエンジンは水冷式が常識ですが、当時はラジエーターを持たない空冷式エンジンを積んだ車も少なくなかったようです。
トヨタスポーツ800の当時の販売価格は59万2千円でした
いよいよ1965年3月に市販されることになったトヨタスポーツ800ですが、当時の販売価格は59万2千円でした。
1965年当時の大卒初任給が2万4千円ほどでしたから、それを考えるとかなり高価なクルマであったことが分かります。
いまの物価に換算すると、およそ500万円程度になるかと思います。
現在のトヨタのクルマでその価格帯になるのは、クラウンの上級グレードやランドクルーザーなどになります。
トヨタスポーツ800は、たかだか790ccのパブリカ用の2気筒エンジンを積んだコンパクトなクルマであるにもかかわらず、値段的には現在の高級車なみだったわけです。
もっとも、当時はクルマそのものが贅沢品であり、相対的に価格は高めでした。
1966年に発売された初代カローラは、49万8千円でした。
これは、現在の物価に換算すると400万円ほどになると思います。
代表的な大衆車であるカローラでさえそれほど高価であったわけですから、トヨタスポーツ800が特別に高価だったということではありません。
ただ、やはり2シーターのスポーツカーという特殊なクルマであったこともあり、販売台数はそれほど伸びなかったようです。
1969年10月に生産中止されることになりましたが、トータルの生産台数はわずか3131台でした。
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屋根までの高さが大人のみぞおちまでしかない!?
トヨタスポーツ800は想像以上にコンパクトなクルマでした。
全長と全幅はそれぞれ3,580mm、1,465mmと、現在の軽自動車とほとんど変わらないサイズ(軽自動車は全長3.4m、全幅1.48m)ですが、驚きなのはその高さです。
地面から屋根までの高さがわずか1,175mmしかなく、身長170cmほどの人が隣に立つと、ちょうどみぞおちのあたりが屋根のてっぺんになります。
最近の背の高いクルマを見なれた私たちが、トヨタスポーツを間近で見るとその車高の低さにびっくりさせられることになります。
ちなみに、いま人気になっている軽自動車であるホンダN-BOXの車高は、1,815mmもあります。
レースでも大活躍をしたトヨタスポーツ800
トヨタスポーツ800はレースでも大活躍しました。
1965年7月18日に千葉県船橋市で行われた全日本自動車クラブ選手権のGT-Ⅰクラスでの優勝(ドライバー:浮谷東次郎)を皮切りに、同年11月7日行われた第一回鈴鹿300kmレースでクラス優勝(ドライバー:細谷四方洋)、1966年1月16日の鈴鹿500kmレースでの総合優勝(ドライバー:細谷四方洋)などの実績を残しています。
とくに1965年7月18日の船橋での、浮谷東次郎の走りは伝説となっています。
4周目の最終コーナーで、2位争いをしていたライバルである生沢徹のクルマのスピンに巻き込まれた浮谷東次郎のクルマは、前方を大きく破損させてしまい、ピットインすることになります。
その後、ピットで応急処置を終えた浮谷東次郎の乗ったトヨタスポーツ800は、最後尾となったにもかかわらず、そこから鬼のような追い上げで他のクルマをごぼう抜きにすると、ついに23週目には生沢徹をかわしてトップに立ち、そのまま優勝をしてしまったのです。
しかし、そんな天才レーサーであった浮谷東次郎は、残念なことにこの優勝のほぼ1ヶ月後となる8月20日に、鈴鹿サーキットでの練習中の事故によってこの世を去っています。
文・山沢 達也
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