マツダのロータリーエンジンを積んだスポーツカーとして、多くの人が思い浮かべることができるのがRX-7やRX-8といった車ではないでしょうか。
同じロータリーエンジンを積んだ車であっても、1970年代前半にレースで大活躍したRX-3というクルマをご存知の方はそれほど多くないことでしょう。
RX-3という名称は、サバンナという車種の輸出仕様のクルマにつけられていたもので、日本国内での名称は「サバンナ・クーペGT」でした。
当時、レースで無敵を誇ったハコスカGT-Rの50連勝を阻止したクルマが、まさに「サバンナRX-3」で、その圧倒的な速さに多くの人が度肝を抜かれました。
「サバンナ・クーペGT(RX-3)」は、軽量ボディに120psの12A型ロータリーエンジンを積み、最高速度190km、ゼロヨン加速15秒6を誇る、当時としては国内トップクラスの俊足モデルでした。
軽量ボディで2000ccクラスの動力性能を誇ったサバンナ
ロータリーエンジンを搭載したマツダのクルマの歴史は、1967年5月に発売された「マツダ・コスモスポーツ」から始まることになります。
未来的なスタイリングが特徴のクルマでした。
参考記事:マツダコスモスポーツ~日本で初めてロータリーエンジンを搭載したクルマの素顔
その後、1967年に発売された「ファミリア・ロータリークーペ」、1967年10月の「ルーチェ・ロータリークーペ」、1970年5月に登場の「カペラロータリー」と、マツダのロータリーエンジン攻勢が続くことになります。
そして、1971年9月に登場したのが「サバンナ」というクルマです。
サバンナには、10A型と呼ばれる491cc×2のロータリーエンジンが搭載され、最高出力は105psを発揮しました。
わずか491cc×2という小さなエンジンですが、クランクシャフトが1回転する間に3回爆発するというロータリーエンジンの特性により、当時の2000ccクラスのクルマに匹敵する性能となっていました。
サバンナのボディはわずか875kgと軽量だったこともあり、最高速度は180km、スタートから400m地点までのタイムであるゼロヨンは16秒4という好タイムをたたき出していました。
12A型ロータリーを積んだハイパワーモデル「サバンナ・クーペGT」
軽量ボディのサバンナは491cc×2の10A型エンジンでも十分に速いクルマでしたが、さらにハイパワーな573cc×2の12A型エンジンを搭載したモデルが、1972年9月登場しました。
このクルマが、「サバンナ・クーペGT」ということになります。
もともとは、輸出用として12A型エンジンを搭載していたRX-3と呼ばれたクルマを、国内販売するかたちになったわけです。
これまでの10A型のロータリーエンジンを積んだ「サバンナ」にくらべて、排気量の大きな12A型エンジンを搭載したサバンナ・クーペGTは、最高出力120psを発揮することになります。
885kgという車重により、最高速度は190km/h、ゼロヨン加速は15秒6という圧倒的な速さを誇りました。
885kgというと、現在の軽自動車とほぼ同じ重さです。
軽自動車に2000ccクラスのパワーを持つエンジンを積んだのと同じ状態なわけですから、サバンナ・クーペGTが速かったのは当然です。
この「サバンナ・クーペGT」が発売されたのは1972年9月ですが、それに先立って、レースでは「サバンナRX-3」として大活躍をしていました。
1971年12月に、無敵を誇ったスカイラインGT-Rの50連勝をサバンナRX-3が阻んだ話はあまりにも有名な話です。
このときのサバンナRX-3は、まさにスカイラインGT-Rの刺客として、230psにまでパワーアップされたモンスターマシンでした。
性能の割には価格的にも手ごろだったマツダのサバンナ
レースで無敵を誇ったスカイラインGT-Rを打ち負かすだけの俊足モデルであるサバンナですが、そのパフォーマンスの割には値段的に手ごろなクルマであったといえます。
サバンナ・クーペGTの当時の販売価格は79万5千円と80万円を切っていました。
当時のライバル車種であった、「三菱ギャランGTO MR」の値段は112万5千円でしたし、「いすゞベレット1600GTR」の値段は111万円でした。
それらのクルマとくらべると、3割ほど安い値段設定になっていました。
1972年当時の大学生の初任給は5万3千円ほどでしたから、79万5千円といっても現在の物価になおすと300万円以上ということになります。
しかし、サバンナ・クーペGTの性能を考えると決して高くはないといえます。
当時は、大衆車であるカローラ1200DXでも50万円ほどの値段設定となっており、現在の物価になおすと200万円ほどになりますから、いまにくらべて全体的にクルマの値段が高めであったといえます。
ちなみに、10A型のエンジンを積むサバンナのなかでは最高グレードであった「クーペGSⅡ」の販売価格が75万円でした。
「クーペGT(RX-3)」はハイパワーな12A型エンジンを積んでいるにもかかわらず、10A型を積む「クーペGSⅡ」とくらべて、わずか4万5千円しか高くなかったことになります。
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サバンナとほぼ同じ外観のグランドファミリアというクルマ
当時のマツダには、サバンナと外観的にはほぼ同じのグランドファミリアというクルマも存在しました。
サバンナとグランドファミリアの外見上の違いは、フロントグリルやテールランプまわりだけで、ほぼ同じ形のクルマといっていいと思います。
外見にはほぼ違いがないこの2つのクルマの一番の違いは、搭載されているエンジンです。
サバンナがロータリーエンジンを搭載しているのに対して、グランドファミリアは1272ccの一般的な直列4気筒SOHCエンジンを搭載していました。
パワー的にも87psと、サバンナにくらべるとかなり見劣りするものでした。
グランドファミリアが文字通りファミリーユースとしてのクルマであったのに対して、サバンナはロータリーエンジンを積んだスポーツモデルという形で、エンジンによってキャラクターを完全に分けていたわけです。
レースでの通算100勝の金字塔を打ち立てはサバンナRX-3
1971年12月の「富士ツーリストトロフィ」でスカイラインGT-Rを破ったサバンナRX-3の勢いはその後もとどまることを知らず、GT-Rに勝ったことが偶然ではなかったことを証明することになります。
1972年5月に行われた「日本グランプリ」では、名ドライバー高橋国光の乗るスカイラインGT-Rを下して、サバンナRX-3は総合優勝を遂げています。
レースの最初から最後まで、スカイラインGT-Rに一度もトップを明け渡すことのない、圧勝となりました。
サバンナRX-3は、これ以降も日本グランプリで勝ち続け、1972年に続き、1973年、1975年、1976年と4連覇を成し遂げています(1974年は雨天で中止)。
また富士グランドチャンピオンシリーズでも、4度チャンピオンに輝いています。
まさに無敵といってもいい状態になったサバンナRX-3は、1976年までの間に、レースでの通算成績100勝という金字塔を打ち立てています。
ちなみに、スカイラインGT-Rの通算成績が、49連勝を含めて57勝であったことを考えると、いかにサバンナRX-3がレースで圧倒的な速さを誇ったかということがお分かりになるかと思います。
サバンナ・クーペGT(RX-3)の後継車種として登場したRX-7
サバンナRX-3は知らなくても、RX-7やRX-8は知っている人も多いに違いありません。
サバンナRX-7は、これまでのサバンナシリーズが1978年に販売終了となるタイミングで、同年の3月に発売が開始されます。
サバンナRX-3の後継車種ではありますが、RX-7のスタイリングはまったく異なるものでした。
RX-7は4人乗りのクルマではありましたが、後部座席はほとんど実用にならないレベルの狭さで、実質的には2人乗りのクルマであったといえます。
その後、ロータリーエンジンのDNAは、2003年に発売になるRX-8へと受け継がれていくことになります。
この頃のロータリーエンジンは、654cc×2の13B型と呼ばれるタイプになっており、ターボチャージャーのない自然吸気にもかかわらず、最高出力は250psにまでアップになっています。
そんなRX-8も2012年6月に生産が中止されることになり、ついにロータリーエンジンを搭載したクルマが消えてしまうことになりました。
文・山沢 達也
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