ある年代より上の人にとっては、マツダというとロータリーエンジンを思い浮かべるに違いありません。
ロータリーエンジンを積んだクルマは、2012年6月のRX-8の販売終了と同時に姿を消すことになりますが、その圧倒的なパフォーマンスは多くの人を魅了することになりました。
このロータリーエンジンを日本で初めて搭載したクルマが、1967年に発売されたコスモスポーツになります。
ロータリーエンジンもさることながら、その未来的なスタイリングによって多くの人の注目をあびたクルマです。
三輪トラックメーカーだったマツダが実用化に成功したロータリーエンジン
マツダという自動車メーカーは、もともとは三輪トラックをメインに販売していました。
1960年にマツダR360、1962年にマツダキャロルという四輪の軽自動車を販売していましたが、三輪トラックが下火となっていくなかで、マツダは本格的な四輪メーカーとしての脱皮を迫られていました。
そんなマツダが、他のメーカーのクルマとの圧倒的な差別化をするにあたって、ロータリーエンジンほどインパクトのあるものはありませんでした。
もともとロータリーエンジンは、1958年にドイツのF.ヴァンケルによって実用化されたエンジンで、1963年にドイツのNSU社が開発をしたヴァンケル・スパイダーというクルマに世界で初めて搭載されました。
その後マツダがこのロータリーエンジンのライセンスを購入して、独自の開発を進めることになります。
ピストンが上下に動く際の運動エネルギーを回転運動に変えるレシプロエンジンに対して、ロータリーエンジンはピストンそのものが回転運動をするために、スムーズに高回転まで回りやすいという特徴があります。
参考:ロータリーエンジンの動作
マツダがこのロータリーエンジンを実用化するにあたっては、血のにじむような努力があったといわれています。
おむすびの形をしたピストンとエンジンブロック間で作られる燃焼室を密閉するための、アペックスシールという部品が不完全で、耐久性が非常に低かったのです。
マツダは、この難問を解決すべく研究を進めた結果、独自のシール材を開発することに成功して、市販車に搭載することが可能な実用的なロータリーエンジンを完成することになります。
1964年のモーターショーに登場した未来的なスタイルのコスモスポーツ
1964年9月の東京モーターショーに、近未来的なスタイルのクルマが登場して注目をあびました。
それがマツダコスモスポーツで、まさにコスモ(宇宙)という名にふさわしい、斬新なスタイルのクルマでした。
「帰ってきたウルトラマン」の防衛隊チームが乗っていた「マットビハイクル」というクルマのベース車両となったのが、まさにこのコスモスポーツでした。
このマツダコスモスポーツが市販されるのは、1967年5月になります。
世界初の水冷2ロータータイプの10A型というロータリーエンジンを搭載しての登場です。
491ccのローターを2つ組み合わせて、トータルの排気量はわずか982ccのエンジンですが、その性能は圧倒的なものでした。
ローターが1回転する間に3回爆発をするというロータリーエンジンの特性により、1000ccに満たない小さなエンジンながら、最高出力は110ps/7000rpmを発揮しました。
これは当時の2000ccクラスのレシプロエンジンに匹敵する性能ということがいえます。
940kgというボディの軽さもあり、最高速度は185kmに達し、スタートから400m地点までの加速タイムであるゼロヨンも16秒3という俊足ぶりでした。
このパワーユニットは、1968年にさらに128psまでパワーアップされることになり、最高速度200km/h、ゼロヨン加速15秒8まで動力性能が伸びることになります。
わずか1000ccに満たない排気量のエンジンで、これだけの動力性能を発揮してしまうところに、ロータリーエンジンのすごさがあります。
また、ハイパワーなだけではなく、スムーズな吹け上がりもロータリーエンジンの特徴でした。
2ローターの場合ピストンは2つしかありませんが、ピストンが回転をすることによってそのまま動力を取り出す仕組みになっているため、レスプロエンジンの直列6気筒なみのスムーズさであるといわれています。
そんな魅力的なコスモスポーツでしたが、価格的にはとても庶民に手の届くものではありませんした。
コスモスポーツの販売価格は148万円でしたが、1967年当時の大卒の初任給は2万6千円ほどです。
コスモスポーツの販売価格をいまの物価に換算すると、なんと1200万円オーバーということになります。
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車高が低くコンパクトだったコスモスポーツ
マツダのコスモスポーツは、とても車高が低くてコンパクトなクルマでした。
ボディサイズは全長4140mm、全幅1595mm、全高1165mmとなっており、身長170cmの人が隣にたつと、ちょうどみぞおちのあたりが屋根のてっぺんということになります。
また全幅ですが、現在ではコンパクトカーでも1.7m近くあるのにくらべると、1595mmというのはだいぶ狭いイメージがあると思います。
しかし、1960年代のクルマは、全幅が1.5m以下というのが一般的でしたので、コスモスポーツは当時のクルマとしてはワイドなフォルムであったといえます。
いまのクルマとくらべるとボンネットが長いスタイリングのため、2人乗りのクルマであるにもかかわらず、全長は4140mmあります。
10A型のロータリーエンジンは非常にコンパクトなエンジンですので、コスモスポーツのボンネットはスペース的にかなり余裕があったと思われます。
参考:コスモスポーツ諸元表
エンジンの耐久性の高さを証明したマラソンデラルートでの入賞
ロータリーエンジンは、これまでのレシプロエンジンとはまったく異なるタイプのエンジンゆえに、その耐久性を疑問視する人もいました。
実際に、マツダの開発チームは、アペックスシールという部品の耐久性の問題で苦労をしてきました。
また、ロータリーエンジンは、その構造上、どうしても燃費が悪いというデメリットがありました。
そういったなかで、マツダはなんとかロータリーエンジンの優秀性をアピールすべく、レースに参戦することになります。
参戦を決めたのは、ドイツのニュフブルクリンクというサーキットで行われる、マラソンデラルート84時間レースでした。
このレースは、1周22kmのコースを、まる三日半にわたって走り続けるというとても過酷なレースです。
1968年のマラソンデラルートに、コスモスポーツは2台で参戦することになります。
1台は途中でリアアクスルを壊してしまってリタイヤすることになりますが、もう1台はみごとに完走して4位に入賞することになります。
周回数は344ラップで、7500km以上の距離をノンストップで走り続けたことになります。
このレースの結果を受けて、ロータリーエンジンに対する評価は一気に高まることになります。
GT-Rの50連勝を阻止したロータリーエンジンのサバンナRX-3
ロータリーエンジンは、コスモスポーツのあとも、ファミリアロータリークーペ、ルーチェロータリークーペ、カペラロータリーとマツダのクルマに次々と搭載されていくことになります。
そして、ロータリーエンジンの高性能を生かしてレースでも輝かしい実績を残していくことになります。
特に印象的だったのは、無敵を誇ったハコスカGT-Rの50連勝を、ロータリーエンジンを積んだサバンナRX-3が阻止したレースでした。
ここからしばらくの間、レースではロータリーエンジン勢の天下が続くことになります。
ロータリーエンジンを積んだクルマが残したレースの実績で最も輝かしいのが、1991年のル・マン耐久24時間レースです。
ロータリーエンジンを積むマツダ787Bは、前年優勝のメルセデスを抜いて、そのままチェッカーフラッグを受けて優勝してしまいます。
まさに、ロータリーエンジンが世界を制した瞬間でした。
文・山沢 達也
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