日産サニーというクルマが登場したのは、1966年です。
当時のサニーの排気量は1000ccでしたが、その半年後にトヨタが「プラス100ccの余裕」というキャッチフレーズで、排気量が1100ccのカローラを発売することになります。
このキャッチフレーズに、当時の日産は相当に悔しい思いをしたに違いありません。
そんな中、排気量を1200ccにアップした2代目のサニーが1970年1月に発売されることになります。
このときのサニーのキャッチコピーが「隣のクルマが小さく見えま~す」でした。
隣のクルマというのは、ライバルであるカローラを指していることは言うまでもありません。
このように、サニーとカローラは熾烈な販売競争を繰り広げてきたわけですが、そんなサニーのなかでも史上最高傑作といわれているのが、今回紹介する2代目サニーです。
特にサニー1200GXは、軽量ボディとツインキャブレーター仕様のエンジンにより、軽快な走りを実現していました。
ツインキャブ仕様で最高速度160kmをマークしたサニー1200GX
2代目サニーに積まれたエンジンは、決して高性能と呼べるエンジンではありませんでした。
初代サニーに搭載されていたA10型と呼ばれる1000ccの直列4気筒OHVエンジンを、1200ccに排気量をアップさせた12A型というタイプが採用されています。
OHVというのはオーバーヘッドバルブの略で、シリンダーヘッド内にカムシャフトがなく、プッシュロッドという長い棒によってバルブの開閉を行う形式のエンジンになります。
現在の国産車で主流となっているSOHCやDOHCは、シリンダーヘッド内に1本ないし2本のカムシャフトを装着して、そのカムシャフトをタイミングベルトやタイミングチェーンによって駆動するタイプです。
OHV形式のエンジンは、その構造上どうしてもSOHCやDOHCにくらべて、高回転・高出力化しにくいというデメリットがあります。
その一方で、ヘッドの部分にカムシャフトがないためにエンジンの重心を低くすることができたり、構造が単純な分だけ耐久性に優れていたりするといったメリットがあります。
そんな高性能化しにくい形式のエンジンを搭載していたサニー1200GXですが、最高速度は160kmに達し、スタートから400m地点までの到達タイムであるゼロヨンは17秒4となっていました。
当時の1200ccのクルマとしては、まさにスポーツカーに引けをとらない圧倒的な動力性能のクルマでした。
サニー1200GXの高性能の秘密はボディの軽さにありました
サニー1200GXに積まれていたエンジンは、USキャブレーターを2基装着していましたが、それでも最高出力は83psにすぎませんでした。
わずか83psのOHVエンジンにもかかわらず、なぜ最高速度160km、ゼロヨン17秒4という当時のスポーツカーなみの動力性能を実現できたのでしょうか?
その秘密は、ボディの軽さにあったといえます。
サニー1200GXの車両重量は、わずか705kgしかありませんでした。
現在国内で発売されている軽自動車の車両重量が610kg~1000kgですから、いまの軽自動車と比較してもサニー1200GXの車両重量は軽い方に属するということがいえます。
そのような、いまの軽自動車とくらべても軽いといえるボディに1200ccのエンジンが積まれていたわけですから、動力性能が優れていたのは当然といえます。
ボディそのものが全体的にコンパクトであった2代目サニー
サニー1200GXは、非常に軽いボディに特徴がありましたが、サイズ的にもかなりコンパクトであったことは間違いありません。
サニー1200GX(クーペ)のボディサイズは、全長が3825mm、全幅が1515mm、全高が1350mmとなっていました。
現在日産から発売されているサニーの後継車種である「ラティオ」のボディサイズが、全長4455mm、全幅1695mm、全高1495mmですから、これとくらべてみても2代目サニーのコンパクトさが分かると思います。
全長・全幅・全高のすべてにおいて、2回りほどラティオのサイズが大きくなっています。
サニー1200GXには4ドアセダンもありましたが、ボディサイズを考えると、室内は決してくつろげるような空間ではなかったことが想像できます。
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最上級グレードの1200GXでも当時の販売価格は63万円でした
日産サニーは、もともと大衆車でしたからそれほど高価なクルマではありません。
最高グレードである1200GXクーペでも、当時の販売価格は63万円の設定になっていました。
1970年当時の大卒の初任給が4万円ほどでしたから、サニー1200GXクーペの価格を現在の物価に換算すると、315万円ほどになると思います。
315万円というと、決して安くはないと感じる人もいると思いますが、当時は他の商品の物価にくらべて全体的にクルマの値段が高い傾向にありました。
サニー1200GXの高性能を考えた場合、当時としては十分に安いと感じる価格設定だったのです。
ちなみに、1970年に三菱から発売されたギャランGTOという1600ccのスポーツモデルは、最高グレードとなるMRの販売価格が112万5千円でした。
いまの物価になおすと600万円ほどになりますので、当時の高性能車というのは本当に高かったのです。
本格的なクロスレシオ仕様だったサニー1200GX5の5速ミッション
いまは、ほとんどのクルマがAT仕様となっていますが、当時はマニュアルミッションが主流でした。
そして、そのマニュアルミッションも4速というのが標準的な仕様でした。
動力性能に優れたサニー1200GXも、当初は一般的な4速ミッションを採用していましたが、そのあとに5速仕様のGX5が登場することになります。
実は、このGX5の5速ミッションが優れものだったのです。
当時も、5速ミッションが採用されているクルマはありましたが、ほとんどのクルマは5速を「オーバートップ」という形で、オーバードライブ用のギヤ比にしていました。
つまり、もともと4速であったクルマに、高速走行時のエンジン回転をさげるために、おまけ的に5速目のギヤをつけたに過ぎないわけです。
そのため、最高速度を記録するのは4速に入れたときで、5速に入れるとトップスピードが落ちてしまうのが普通でした。
ところがサニー1200GX5に採用されたミッションは、5速がしっかり細分化された本格的なクロスレシオのミッションとなっていたのです。
4速のGXも5速のGX5も、どちらもファイナルレシオは1.000でまったく同じです。
つまり、GX5は5速のギヤによってエンジンのパワーバンドをフルに活用して、本格的な走りが楽しめたクルマだったわけです。
ちなみに、1200GXクーペの販売価格が63万円だったのに対して、1200GX5の価格は3万5千円高の66万5千円となっていました。
ミッションが4速から5速に変わっただけで3万5千円のアップは高く感じると思いますが、GXとGX5の違いはミッションだけではありませんでした。
4速モデルが発砲ビニールレザー地シートだったのに対して、GX5ではより高級感のあるトリコット地が採用されていました。
また、シートの形状も、GX5はスポーツ走行に適したヘッドレスト一体型のハイバックタイプとなっています。
2代目サニーのまま37年生き残ったサニートラック
サニーには、乗用車だけでなくトラックもありました。
2代目サニーは1973年5月に、3代目サニーにバトンタッチをすることになりますが、サニートラックだけは、2代目のままその後もずっと生き残り続けることになります。
2代目ベースのサニートラックが販売を終了するのは2008年で、1971年に登場して依頼37年間、基本的にモデルチェンジすることなく愛され続けることになりました。
1980年代以降は、そのノスタルジックなスタイルと、トラックらしからぬ動力性能の高さなどから、「サニトラ」という愛称でマニアに支持されることになります。
エンジンをチューニングにして、ドレスアップパーツに身をつつんだ「サニトラ」を、いまもときどき見かけることがあります。
2代目サニーというのは、それだけ基本性能がしっかりとしていたクルマだったということがいえます。
文・山沢 達也
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