三菱ギャランGTO~ヒップアップクーペと呼ばれた時速200kmの俊足モデル

三菱ギャランGTO1970年11月に三菱からギャランGTOという斬新なスタイルのクルマが発売になりました。

お尻の部分が少し持ち上がった独特のスタイルで、ヒップアップクーペと呼ばれていました。

トップグレードとなるMRは、わずか1600ccのエンジンにもかかわらず、最高速度は200km/hと、当時のクルマとしてはトップクラスの性能を誇りました。

スタートから400m地点までのタイムであるゼロヨンも、16秒3という俊足ぶりです。

ギャランGTOとはいったいどういったクルマだったのか、具体的にみていくことにしましょう。

ギャランGTOのヒップアップはデザインだけが目的ではありませんでした

ギャランGTOは、フルファストバックの先端の部分が、反り返るような形状になっています。

まさにお尻が上がっているような形になっているために、ヒップアップクーペと呼ばれたわけです。

ギャランGTOは、国産車としては初のエアロフォルムといってもいいスタイリングで、なんども空洞実験を重ねたうえでボディがデザインされています。

テールの部分のヒップアップも、ただの飾り的なものではなく、しっかりと空力を考慮したうえでのものなのです。

よくレーシングカーの後部にウイングと呼ばれる羽根がついているのを、見たことがあると思います。

高速走行時にはどうしてもボディが浮き上りぎみになってしまうために、レーシングカーはあのリアウイングを取り付けることで風の力によって車体を下に押し下げているわけです。

左横から見る三菱ギャランGTOギャランGTOのヒップアップの部分は、まさにレーシングカーのウイングと同じ役割をしていることになります。

実際に三菱が行った空洞実験だと、時速180kmで走行中に横風を受けると、普通のセダンだと160kg前後の浮力が発生してしまうそうです。

しかし、ギャランGTOの場合には、発生する浮力はわずか100kg前後にとどまっています。

つまり、それだけギャランGTOにはボディが浮かび上がらないようなダウンフォースがかかっているということになります。

ギャランGTOのヒップアップは、ただのデザイン的なものではなく、しっかりと高速安定性に貢献してるわけですね。

ただし、こうしたリアウイングやヒップアップによるダウンフォース効果があらわれるのは、120km/h以上で走行したときに限られるといわれています。

日本国内での最高速度は高速道路でも100km/hなわけですから、ギャランGTOに乗ってヒップアップによる高速安定性を実感できる機会というのは、実際にはほとんどなかったといっていいでしょう。

第16回東京モーターショーに登場した試作車ギャランGTX-1

1969年10月に開催された東京モーターショーに、ギャランGTOのプロトタイプモデルが登場しました。

「コルト ギャランGTX-1」というネーミングのそのクルマは、フォードのムスタングに似たスタイルの2ドアピラーレスハードトップでした。

ピラーレスハードトップというのは、側面の前席の窓と後席の窓の間に支柱(Bピラー)のないタイプで、解放感があるのが特徴です。

日本国内でも一時期は大流行したピラーレスハードトップですが、ボディ剛性などの問題もあり、その後はすたれていくことになります。

現在の国産車で、このピラーレスハードトップを採用しているクルマはありません。

この16回東京モーターショーに登場した「コルトギャランGT-X」を、市販に向けて熟成されたクルマが、まさに1970年11月に発売された「ギャランGTO」ということになります。

参考:ギャランGTOの諸元表

1600ccながら125psを発揮したギャランGTOのDOHCエンジン

直列4気筒OHCエンジンギャランGTOには3つのグレードがあり、それぞれのグレードごとにエンジンの性能が異なっていました。

ベーシックモデルは、MⅠと呼ばれるモデルで、シングルキャブレター仕様の直列4気筒OHCエンジンが搭載され、最高出力は100psでした。

ベーシックモデルのMⅠであっても動力性能的には十分で、最高速度は170km/h、ゼロヨン加速は17秒45を誇りました。

中間グレードとなるのがMⅡで、MⅠと同様の直列4気筒OHCエンジンを、ツインキャブレター仕様として、最高出力は110psにパワーアップされています。

このパワーアップにより、動力性能的にも、最高速度が185km/h、ゼロヨン加速が16秒71と、あきらかにMⅠよりも向上しています。

ギャランGTOの一番の売れ筋は、この中間グレードであるMⅡでした。

直列4気筒DOHCエンジンそして、最高グレードのMRになると、他のグレードとはまったく別の、ツインキャブレター仕様の直列4気筒DOHCエンジンが搭載されて、最高出力は125psを発揮することになります。

わずか980kgしかない車重に対して、これだけのパワーのエンジンを搭載していたわけですから、MRの動力性能は想像以上でした。

最高速度は200km/hに達し、ゼロヨン加速も16秒3と、当時の国産車としてはトップクラスの性能を誇りました。

また、この当時は4速ミッションが普通でしたが、このMRに限り5速ミッションが採用されていました。

このように、グレードごとにエンジンのパワーが異なる点が、GTOの面白いところでした。

ちなみに、当時GTOのライバルであった1600ccのベレットGTRは、最高速度が190km/hでした。

また、ギャランGTOよりもひとクラス上で、エンジンの排気量が1900ccだったマークⅡGSSの最高速度が200km/hでした。

ギャランGTOの動力性能は、上位クラスのスポーツモデルとくらべても、まったく遜色のないものであったといえます。

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庶民には手の届かなかった「ギャランGTO MR」の値段

空力を考慮した斬新なスタイルと、クラスを越えた高性能を誇るギャランGTOでしたが、最高グレードの販売価格は112万5千円と、当時のクルマとしてはかなり高価でした。

1970年当時の大卒の初任給は4万円ほどですので、ギャランGTO MRの112万5千円という価格を現代の物価に換算すると600万円ほどになると思われます。

いかに高性能なクルマとはいえ、1600ccのクルマがそれだけの値段で売られていたということに驚かされます。

同時期に登場したライバルである「トヨタのセリカ1600GT」の値段が87万5千円でしたから、それとくらべても3割近く高かったことになります。

ただし、同じくライバルであった「いすゞベレット1600GTR」の値段が111万円でしたから、ギャランGTOだけが特別に高かったということではないようです。

いずれにしても、ギャランGTO MRは若者向けのスポーツモデルではありましたが、普通の若者がそう簡単に購入できるような値段のクルマではなかったわけですね。

オイルショックと排ガス規制により短命に終わったMR

2000GSR1600ccながら125psを発揮したギャランGTOのMRですが、1973年に起こったオイルショックや厳しさを増す排ガス規制の影響もあり、短期間で姿を消すことになります。

1973年には、ギャランGTOの主力モデルは2000ccに排気量がアップされることになります。

その中で、MRにかわって最強モデルに君臨したのが、2000GSRです。

2000GSRはオーバーフェンダーが取り付けられたレーシーなスタイルが特徴となっていましたが、エンジンそのものはMRのようなDOHCタイプではなく、OHCの直列4気筒でした。

パワー的には125psと、1600ccのMRと変わらない数字にとどまっていました。

2000GSRは、1976年には非常に厳しい51年排ガス規制もツインキャブレレーター仕様のままクリアすることに成功しています。

規制をクリアするために、最高出力こそ115psにダウンすることになりましたが、もともとギャランGTOは1600ccのエンジンを搭載することを前提に設計されたクルマですから、十分なパワーであったといえます。

その後、1976年12月にギャランGTOは発売を終了することになります。

文・山沢 達也

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