ホンダのN-ONEという軽自動車が人気になっていますが、50代以降の人がはじめてこのクルマをみたときには、なんとも懐かしい感じがしたに違いありません。
なぜなら、このホンダN-ONEのモチーフとなったクルマが、50年前に販売されていたからです。
それが、ホンダN360というクルマです。
このN360は、軽自動車の最高出力が20ps前後であった時代に、31psという非常識なパワーを発揮したクルマで、当時の人気モデルでした。
ここでは、50年前の非常識な軽自動車である、ホンダN360の魅力について書いてみたいと思います。
ライバルのスバル360を圧倒するホンダN360のパワーと価格
1960年代に、軽自動車の市場をほぼ独占していた、富士重工業の「スバル360」に殴り込みをかける形で登場したのが、1967年にホンダから発売されたN360です。
スバル360の最高出力が20psであったのに対して、ホンダN360はその1.5倍以上にあたる31psというハイパワーを引っ提げて登場しました。
しかも、スバル360の価格が42万5千円であったのに対して、ホンダN360は31万3千円と価格面でもライバルを圧倒していました。
しかも、N360は当時の国産車のなかでは非常にめずらしいFF方式を採用していました。
FF方式というのは、フロントエンジン・フロントドライブの略で、前輪を駆動させて走る方式のことです。
現在では多くのクルマが採用する駆動方式ですが、リアタイヤを駆動させるFR方式が主流だった当時としては、FF方式を採用するクルマは非常にめずらしいものでした。
FF方式を採用するクルマは、エンジンから後輪へ動力を伝えるためのプロペラシャフトがないため、フロアの盛り上がりがなく足元の広さを実感することができます。
また、FFの場合にはエンジンを横向きに設置することになりますので、ボンネットの長さを短くすることができ、室内のスペースを広くとることが可能になります。
そんなホンダN360が売れないはずはなく、発売後数ヶ月で、当時の人気軽自動車であったスバル360の販売台数を抜いてしまうことになります。
そして、その後も売り上げが落ちることはなく、発売からわずか2年足らずで25万台を売り上げる人気車種になりました。
N360のエンジンはまるでオートバイのエンジンのような空冷2気筒
ホンダN360に積まれていたエンジンは、SOHCの空冷2気筒エンジンになります。
冷却用のフィンが特徴的なそのエンジンは、まるでオートバイ用エンジンのような外観です。
外観がバイクのエンジンに似ているのは当然の話で、実はこのN360のエンジンは、当時ホンダから販売されていたドリームCB450というバイクのエンジンをベースに開発されたものなのです。
バイクメーカーから4輪に進出したホンダらしい発想といえそうです。
バイクのエンジンというと高回転型というイメージがありますが、このN360も31psという馬力を8500rpmという高回転でただき出しています。
高回転まで回してパワーを稼ぐというやり方は、まさに当時のホンダのお家芸だったわけです。
ちなみに、ホンダN360のタコメーターのレッドゾーンは9000回転からとなっていました。
一般のクルマのレッドゾーンが6000回転前後であることを考えると、ホンダN360のエンジンがいかに高回転型であったかがお分かりになるかと思います。
その後、N360のエンジンはさらにパワーアップすることになります。
1968年に発売された「T」というグレードは、このエンジンにツインキャブレターを装着して、36psを9000rpmという高回転でたたき出すことになります。
リッターあたり100psとなる、当時としては非常識といえるほどの高出力高回転エンジンでした。
ただ、そんなインパクトのあるホンダN360のエンジンですが、ホンダの4輪車1号となったT360という軽トラックのエンジンとくらべると、だいぶインパクトの少ないものとなっています。
参考:ホンダT360のカタログ
T360のエンジンは、DOHCの直列4気筒でキャブレターを4連装するという、まさに当時としてはレーシングカーなみのマニアックなエンジンでした。
軽自動車らしからぬ動力性能を誇ったホンダN360
軽量ボディに高出力エンジンを搭載したホンダN360は、当時の軽自動車としてはあり得ないほどの高性能を発揮しました。
わずか475kgという軽量ボディに31psのエンジンが搭載されていたわけですから、その動力性能は容易に想像できることでしょう。
当時の軽自動車の最高速度は80km/h程度というのが一般的な認識であったにもかかわらず、ホンダN360の最高速度は115km/hにも達しました。
さらに、ツインキャブレターを装着して36psを発揮した「T」グレードの最高速度は、120km/hにも達します。
ただし、高回転型エンジンの特性として、どうしても低回転域でのトルクが不足がちになります。
軽量であるオートバイの場合であれば、低回転時のトルクが不足していてもそれほど問題になることはありませんが、重量のある4輪車の場合だと、どうしても市街地では扱いにくくなってしまいます。
高出力が魅力のホンダN360ですが、決して乗りやすいクルマというわけではなかったようです。
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現在の軽自動車とくらべると圧倒的にコンパクトなN360
ホンダN360は、当時の軽自動車の規格で制作されているため、現在の軽自動車とくらべても驚くほどコンパクトなクルマでした。
全長2995mm、全幅1295mm、全高1345mmという非常にコンパクトなサイズでした。
ちなみに、現在のホンダN-ONEのサイズをみてみますと、全長3395mm、全幅1475mm、全高1610mmとなっています。
全体的に二回りほど大きくなっているのがお分かりになるかとおもいます。
また、車重もN360が475kgであったのに対して、N-ONEは850kgもあります。
当時のクルマとくらべると、現在のクルマは軽自動車といえどもかなりのヘビー級であるということがいえます。
当時の軽自動車は、脱輪してタイヤを側溝などに落としてしまっても、2人くらいで力を合わせれば、人力で持ち上げて脱出することが可能でした。
そんなコンパクトなホンダN360でしたが、斬新なFF方式を採用したこともあり、当時の軽自動車としては十分な室内の広さを確保していたようです。
N360に逆風がふいたユーザーユニオン事件
ホンダN360は、1968年と1970年にモデルチェンジをして、それぞれ「NⅡ」「NⅢ」と進化していきました。
そんななか、このホンダNシリーズにとって逆風ともいうべきユーザーユニオン事件が起こります。
「日本自動車ユーザーユニオン」が、N360に操縦安定性の面で重大な欠陥があると指摘をしてきたのです。
そして、創業者である本田宗一郎を「未必の故意による殺人罪」で、東京地方検察庁に刑事告訴してしまったのです。
その後に本田宗一郎は不起訴になり、逆にホンダ側は法外な示談金を要求したとしてユーザーユニオンを恐喝で告訴することになります。
裁判は最高裁まで争われ、ユーザーユニオンの専務理事に対して最高裁判所は懲役1年6ヵ月(執行猶予4年)の判決を言い渡しています。
当時の人気車種であったホンダN360は、このユーザーユニオン事件がきっかけとなって、イメージダウンをすることになってしまいます。
軽自動車としてはパワーがありすぎるという批判もあり、最終モデルとなる「NⅢ360タウン」というモデルは、低速走行重視にエンジンをチューニングして、最高出力は27psに下げられることになりました。
その後、トータルの生産台数65万台を誇る大人気車種であったホンダのNシリーズは、1972年1月に生産が中止され、後継車種である「ライフ」にバトンタッチをすることになります。
文・山沢 達也
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