最近は旧車ブームということもあり、ハコスカやケンメリといった言葉をときどき耳にすることがあるかも知れません。
旧車に興味のない人には、それがどんなクルマなのかまったく見当がつかないと思います。
もちろん「ハコスカ」や「ケンメリ」というのは、車種名ではありません。
当時、若者に大人気となっていた日産スカイラインの愛称になります。
それでは、実際にハコスカやケンメリがどんなクルマだったのか見て行くことにしましょう。
ハコスカとは日産とプリンスが合併したあと販売された3代目スカイライン
もともとスカイラインは、プリンスというメーカーで生産されていたクルマでした。
ところが、プリンスは1966年に日産と合併することになります。
そのため、合併した後の2代目スカイラインは「ニッサン・プリンス・スカイライン」と呼ばれていました。
そして、1968年に日産としての初めてのスカイラインが発売されることになります。
それがC10型と呼ばれる3代目のスカイラインで、ハコスカの愛称で呼ばれています。
もっとも、「ハコスカ」と呼ばれるようになったのは、4代目スカイラインである「ケンメリ」が発売されたあとでのことで、「ケンメリ」と区別するために「ハコスカ」と呼ばれるようになりました。
曲線的なスタイルのケンメリに対して、角ばった箱のようなスタイルだったことから「ハコスカ」と呼ばれるようになったようです。
レーシングカーのエンジンを搭載したハコスカGT-R
1969年に、ハコスカに衝撃的なモデルが登場しました。
それがGT-Rと呼ばれるタイプで、もともとは日産のレーシングカーであるR-380というマシンに搭載されていた2000ccのエンジンを、公道で走れるようにデチューンして搭載していました。
R-380に使われていたエンジンはGR8型と呼ばれるタイプで、最高出力は245馬力を発生させていましたが、デチューンされてGT-Rに搭載されたS20型の最高出力は160馬力となっています。
このS20型エンジンは、フェアレディZの432というタイプにも搭載されています。
432の由来は、S20型エンジンの特徴である1気筒あたり「4バルブ、3キャブ、2カム」から来ています。
このレーシングカーのエンジンともいえるS20型を搭載したハコスカGT-Rを一躍有名にしたのがレースです。
当時は市販車をベースにしたクルマで順位を競い合う「ツーリングカーレース」というものが行われていたのですが、ハコスカGT-Rはこのツーリングカーレースでなんと49連勝を達成してしまうのです。
もともとレーシングカーのエンジンだったものをデチューンして市販車に搭載していたわけですから、ハコスカGT-Rがレースに強いのは当然のことです。
ちなみに、GT-Rの「R」はレーシングの頭文字で、まさにレースに出場するために作られた市販車ということがいえます。
迫力のあるオーバーフェンダーが特徴で、他の「ハコスカ」とは一目で違いが分かります。
ただ、外観だけをGT-Rのように改造してS20型エンジンを搭載していない「なんちゃってGT-R」も少なくなかったようです。
GT-Rがレースで連勝することでスカイラインの知名度はどんどんあがり、若者から爆発的な支持を得ることになります。
ちなみに、ハコスカは全部で31万447台生産されましたが、その中でGT-Rはたった1945台しか生産されませんでした。
1970年当時、スカイラインGT-Rの価格は150万円でしたが、その当時の大卒の初任給が4万円程度だったことを考えると、一般庶民にとっては高嶺の花だったことは間違いありません。
広告キャンペーンがそのまま愛称となったケンメリ
1972年9月にハコスカがフルモデルチェンジされて、スカイラインは4代目となりました。
この4代目のとなるC110型のスカイラインが、いわゆる「ケンメリ」です。
この「ケンメリ」の愛称は、発売当初の広告キャンペーンである「ケンとメリーのスカイライン」からきています。
当時、若い男女二人がスカイラインに乗って全国を旅するというシリーズもののテレビCMが流れていましたが、この二人の男女の名前が「ケンとメリー」という設定になっていたようです。
この4代目スカイラインは、角ばったスタイルの3代目にくらべると、やや丸みを帯びたデザインが特徴となっています。
また、4代目スカイラインには2ドアハードトップと4ドアセダンがありますが、この4ドアセダンのことを「ヨンメリ」などと呼ぶこともあります。
つまり、4ドアのケンメリだから「ヨンメリ」なわけです。
幻のクルマと言ってもいいほど希少価値の高いケンメリのGT-R
4代目のスカイラインにも、1973年にGT-Rがラインナップに追加されました。
エンジンは、ハコスカGT-Rに搭載されていたS20型がそのまま継承されています。
しかし、このケンメリGT-Rは幻のクルマといわれています。
なぜなら、67万562台も生産されたケンメリスカイラインのうち、GT-Rはわずかに197台しか生産されなかったからです。
197台で生産が打ち切られた背景には、当時はかなり厳しくなりつつあった排ガス規制の影響があるといわれています。
このケンメリGT-Rが発売されてからすでに45年ほど経過していますから、現在どれだけの数の車両が残っているか分かりませんが、もし見かけることができたら、まさに幻の車を見たことになります。
ただ、ケンメリGT-Rも「なんちゃって」が多いので、ボンネットを開けてS20型エンジンが搭載されているかどうかを確認するまでは、本物かどうかは判断できません。
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いまのクルマとくらべると思った以上に小柄なハコスカ
現在ニッサンから販売されている13代目スカイラインのサイズは、全幅1820mm、全長4790mm、全高1440mmとなっています。
それに対してハコスカ4ドアセダンのサイズは、全幅1595mm、全長4430mm、全高1405mmと非常にコンパクトです。
現在のスカイラインとくらべると、全幅で225mmせまく、全長も360mm短いことになります。
全幅に関しては、コンパクトカーである日産マーチが1665mmですから、それよりも70mmも狭いことになります。
ちなみに軽自動車の全幅は1480mm以下と決められていますが、2000ccのエンジンを積むハコスカの全幅は、現在の軽自動車とわずか115mmしか違わなかったことになります。
ハコスカGT-Rは、そんなコンパクトなボディーにレーシングカーのDNAを持つエンジンを積んでいたわけですから、レースで強かったのも当然といえるかもしれません。
また、スカイラインといえば当時の若者のデートの定番車でしたが、いまのクルマとくらべるとさぞかし助手席までの距離が近かったに違いありません。
ハコスカやケンメリ以外もあったスカイラインの愛称
スカイラインの愛称は、ハコスカやケンメリだけではありません。
1977年にケンメリの後継車として発売された5代目のスカイラインの愛称は「ジャパン」です。
日本の風土が生んだ名車であるという広告キャンペーンにより「SKYLINE JAPAN」というキャッチコピーが用いられました。
その結果、愛称が「ジャパン」となったのです。
この「ジャパン」は、1980年にターボモデルを発売していますが、これには伏線があります。
1979年にトヨタが「名ばかりのGTは道をあける」というキャッチフレーズで、スカイラインのライバル車であるセリカのテレビCMを流しました。
当時、スポーティーなエンジンとされたDOHCエンジンを搭載しているセリカが、GTを名乗っているにもかかわらず一般的なSOHCエンジンを搭載しているスカイラインを揶揄したとされています。
それに発奮した日産が、スカイラインに高性能なターボエンジンを搭載したといわれています。
文・山沢 達也
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