日産フェアレディ2000(SR311)~最高速度205km/h・ゼロヨン15秒4の俊足スポーツ

赤いフェアレディ2000日産のフェアレディというと、「Z」を思い浮かべる人も多いことでしょう。

しかし、フェアレディZが登場する前の1967年に日産から発売されたフェアレディ2000は、「Z」以上にインパクトのある個性的なクルマでした。

2シーターのオープンカーで、最高速度は205km/hをマークしました。

また、スタートから400m地点に到達するまでのデータであるゼロヨンのタイムも、15秒4という圧倒的な数字でした。

まさに当時の国産車としては、最速ともいっていいポテンシャルを誇ったクルマです。

3人乗りのユニークなオープンカーだったフェアレディ1500

フェアレディの歴史は、1959年6月に生産が開始されたダットサン・スポーツ1000というクルマからはじまります。

ダットサン・スポーツ1000は、4人乗りの本格的なオープンカーでした。

その後、1960年1月に発売された「ダットサン・フェアレデー1200」が、初めてフェアレディの表記で登場したクルマになります。

当時は、「フェアレディ」ではなく「フェアレデー」という表記になっていました。

その後1962年10月に2代目のフェアレディとなる、「ダットサン・フェアレディ1500」が登場します。

SP310と呼ばれるモデルで、このモデルが今回紹介する「ダットサン・フェアレディ2000」(SR311)に進化していくことになります。

SP310フェアレディ1500(SP310)は非常にユニークなクルマでした。

スポーツカーであるにもかかわらず、ダットサン・トラックのシャーシを流用していたという点も驚きですが、乗車定員が3人という点もいまのクルマでは考えられないような奇抜さです。

1人乗りの後部座席は、なんと横向きに取り付けられていたのです。

ちなみに、このフェアレディ1500(SP310)は、1488ccのOHV型直列4気筒エンジンを搭載して、最高出力は71ps/5000rpmでした。

OHVという高回転には向かない形式のエンジンのため、スペック的にはたいしたことはありませんが、軽量なボディによって最高速度は150km/hに達しました。

その後、1965年5年に「フェアレディ1600」(SP311)が発売されることになります。

フェアレディ1600 SP311エンジンはOHV形式でしたが、排気量が1595ccにアップして高回転化されたことにより、最高出力は90ps/6000rpmとなっています。

わずか920kgという軽量なボディのおかげで、最高速度は165km/h、ゼロヨン加速は17秒6をマークしました。

そうした高性能化に対応するように、このSP311からフロントのブレーキがディスクブレーキに変更されています。

国産車初の200km/hオーバーを実現したフェアレディ2000(SR311)

フェアレディ1600(SP311)の追加モデルという形で、1967年3月に「フェアレディ2000」(SR311)が発売されることになります。

「SP311」から「SR311」へと形式的にはたった1文字の違いだけの変更ですが、その性能の違いは圧倒的でした。

フェアレディ2000のエンジン「SR311」に積まれたエンジンはU20型と呼ばれるタイプで、これまでのOHV形式の直列4気筒からより高回転に強いSOHC形式の直列4気筒タイプになっています。

この新設計のU20型エンジンは、ソレックス製のキャブレターを2基装着して、最高出力は145ps/6000ppmを発揮しました。

フェアレディ1600にくらべて圧倒的にパワーアップをしたにもかかわらず、ボディは10kg軽量化され、わずか910kgしかありませんでした。

ちなみに、現在ホンダから発売されている軽自動車のオープンカーであるS660の車両重量が830kgですから、2000ccのエンジンを積むフェアレディ2000の910kgという車重には驚かされます。

軽量なボディに高性能エンジンを搭載し結果、どういったことになるかは考えるまでもありません。

最高速度は205km/hと、国産車として初の200km/hオーバーカーとなりました。

ゼロヨン加速も15秒4と、当時の国産車としては、ダントツの1位です。

ちなみに、1967年に発売されたトヨタ2000GTは、最高出力150psを発揮しましたが、ゼロヨン加速は15秒9とSR311には及びませんでした。

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フェアレディ2000の当時の販売価格は96万円

国産車トップクラスの性能を誇ったフェアレディ2000ですが、当時の販売価格は96万円でした。

いまとは物価が異なりますのでピンと来ないと思いますが、当時の大卒の初任給は2万6千円ほどでした。

それを考えると、フェアレディ2000はまさに庶民にとっては高値の華といってもいいほどの高価なクルマでした。

現在の物価になおすと、750万円ほどになると思います。

とはいえ、トヨタ2000GTの販売価格が238万円であったことを考えると、なんとか頑張れば手の届く範囲の販売価格であったかと思われます。

トヨタ2000GTの価格を現在の物価になおすと、1800万円ほどと家1軒分の値段になります。

軽量コンパクトボディが特徴だったフェアレディ2000

フェアレディ2000の後方フェアレディ2000(SR311)のボディは非常にコンパクトでした。

車両重量が軽自動車であるS660とわずか80kgしかかわらない910kgであることは、先に書いた通りです。

ボディのサイズは、全幅1495mm、全長3910mm、全高1300mmとなっています。

ちなみに、日産から発売されている代表的なコンパクトカーであるマーチのサイズが、全幅1660mm、全長3725mm、全高1525mmです。

全長ではわずかにマーチよりも長いですが、全幅と全高は完全に負けています。

つまり、マーチクラスのコンパクトなボディに、2000ccのエンジンを搭載してしまったわけですから、速いのは当然です。

2代目フェアレディは、もともと1500ccのクルマとして設計されたこともあり、全幅が1495mmと非常に狭くなっています。

現在の軽自動車の規格では、全幅は1.48m以下となっていますので、いまの軽自動車とほぼ変わらない全幅だったことになります。

参考:フェアレディ2000の諸元表

レースでも大活躍をしたフェアレディSR311

レース中のフェアレディ2000フェアレディ2000はそのコンパクトなボディを生かしてレースでも大活躍をしました。

1967年5月に行われた第5回日本グランプリでは、黒沢元治、長谷見昌弘、粕谷勇の3ドライバーがSR311で1位から3位まで独占しています。

その年の7月に富士スピードウェイで行われた1000kmレースでもクラス優勝を果たし、さらに12月に行われた富士12時間レースでも総合優勝をなしとげています。

翌1968年になってもフェアレディ2000のレースにおける快進撃は止まらず、1月に行われたモンテカルロラリーでは、日本車の過去最高順位となる総合9位(クラス3位)に入っています。

同年3月に行われた富士24時間耐久レースでも優勝し、5月には日本グランプリで1位から11位までを独占するという驚異的な成績を残しています。

1969年にスカイラインGT-Rがレース界に登場してくるまで、フェアレディSR311がレースの主役の座に座り続けることになったのです。

フェアレディZの登場で1970年に生産が中止されたSR311

当時としては、圧倒的な高性能を誇った2シーターのオープンカーであるフェアレディ2000も、1969年にフェアレディZが登場することで、翌年の1970年に販売を終了することになります。

このフェアレディZにも「432」や「240」といった歴史に名を残すようなモデルが生まれています。

フェアレディZ423は、あのハコスカGT-Rと同じS20型のエンジンを搭載して160psの最高出力を誇りました。

「432」というのは「4バルブ・3キャブ・2カム」の略です。

つまり、S20というエンジンは、1気筒あたり吸気と排気に2つずつの合計4つのバルブがあり、キャブレターが3連装され、カムシャフトが2本ある(DOHC)ということを意味していたのです。

フェアレディZ240は、エンジンの排気量が2400ccだったことからそう呼ばれています。

現在のフェアレディZは6代目となりますが、「フェアレディ」という名前のクルマが60年近くたったいまも販売されているということに、感慨深いものがあります。

文・山沢 達也

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