中古車オークションは盛況でも販売店はあまり儲からない理由

車のオークションどこの街にも、車の中古屋さんが何店舗かあるでしょう。

中古車販売店というのは、在庫を数百台も展示しているような大手の業者もいますが、多くは中小の零細店がほとんどです。

そういった中小零細店のオーナーたちは、中古車をどこで仕入れてくるのでしょうか?

実は、それらの中古車販売店で売られている車の約9割は、オークションで仕入れてきます。

いまや、中古車オークションは巨大なビジネスへと成長しました。

しかし、中古車オークションが大盛況なのとは裏腹に、中古車の買取店や販売店は苦戦を強いられているところが多いようなのです。

参考:オートオークション – Wikipedia

年間700万台もの中古車が出品されます

2013年の時点で、中古車オークションに出品される車の台数は、700万台を超えています。

たくさん並ぶ車ちなみに、リーマンショック前に2008年に記録した887万台とくらべると、多少落ち着いてきてはいますが、それでもものすごい数字です。

2015年における中古車の販売台数が373台となっています。

売れている車の台数は373万台なのに、オークションの出品数が700万台を超えているということは何を意味するのでしょうか?

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多くの中古車が何度も繰り返し出品される

中古車オークションというのは、あくまでも業者間での売買を仲介するビジネスです。

実際に、エンドユーザーの手に車が渡ろうと渡るまいと、多くの出品と落札が繰り返されれば、その手数料で利益がでるわけです。

ところが、業者はそうは行きません。

中古車オークションで手に入れた車を、お客様に販売することで始めて利益が出ることになります。

実際に、お客様に販売された車の数が372万台であるにもかかわらず、中古車オークションに出品された車の数が700万台を超えるということは、多くの車がエンドユーザーの手に渡らずにオークションに繰り返し出品されているということになります。

ちなみに、中古車オークションに1年間に出品される車の数は約700万台ですが、実際に落札されて成約されるのは400万台程度です。

つまり、このことから出品されたにもかかわらず、成約しない車がかなりの数に上るということが推測出来ると思います。

成約しなくてもオークション主催者は儲かる

中古車オークションというのは、出品するだけでも手数料がかりますから、成約せずに何度も出品を繰り返すことで、業者は自社の利益をどんどん食いつぶしていってしまうことになります。

それに対して、中古車オークションの主催者は、出品された車が成約すれば別途手数料が入りますが、別に成約しなくても出品手数料だけは入るわけです。

その結果、業者は出品を繰り返すことでどんどん儲けがなくなってしまう一方で、オークションの主催者のみが利益を得ることができてしまうのです。

実際にお客様から買い取ったり下取りをした車が、オークションで成約するまでには平均2.6回出品しているそうです。

1回目2回目と落札されず、仕方なしにほとんど儲けなしで3回目の出品をして、ようやく成約にこぎつけるというケースも少ないようです。

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せっかくの車を赤字で損切りするケースも

最近は、買取店の数が増えてきたり車の一括査定サイトなどの影響もあって、買取り価格や下取り価格そのものが上昇傾向にありますから、落札されずに何度も出品を繰り返すことによって、ほとんど利益が出なくなってしまうのです。

利益が出ないどころか、最後は赤字で損切りせざるを得ないというケースも多くなっているようです。

もし何度出品しても落札されないということになると、最悪はその車を持ち帰らなければならなくなります。

そうなると、持ち帰るための陸送費などがさらに余分にかかってしまうことになってしまうため、赤字であっても処分せざるを得ないと判断するわけです。

わざわざお客様から買い取った中古車が、オークションに出品して利益がでるどころか逆にマイナス利益となってしまうのですから、これは業者にとって非常に辛いと思います。

あまり儲からない業者と盛況のオークション主催者

かつて、中古車1台をさばくと、20万円とか30万円の利益が出ることが当たり前だった時代もあるようですが、いまではよほど条件のいい車を仕入れて、オークションでうまくせり上がってくれないとなかなか利益が出にくくなっているようです。

こうして中古車業界は、あまり儲からない業者と大盛況のオークション主催者という構図が出来上がってしまったのです。

中古車オークションというビジネスの出現によって、中古車業界において車の流通をスムーズにすることができたという事実はありますが、その結果として儲からない業者が増えてしまったというのは、なんとも皮肉なことです。

文・山沢 達也

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